我が人生を変えたパソケットの思い出

コラム

おはこんばんちは。前チャック開魔王(仮)です。

部屋を整理していたら、パソケット16のカタログが出てきました。涙が出てくる程、懐かしいです。

運命の出会い『パソケット』

私は、初めての同人イベントに参加したのは、コミックマーケットではなく『パソケット』でした。俗に言う、同人ソフトを頒布する即売会です。

当時80年代末〜90年代初頭、パソケットは非常に盛り上がっており、私が愛読していたパソコンゲーム雑誌『テクノポリス』で、そのイベントを知りました。
テクノポリスは、同人ソフトに関しての紹介も非常に積極的に行なっており、美少女ゲームソフトと対を成す程、注力されていたカテゴリでした。元々、ゲームのイベントに参加するのが好きだった私は、それはもう魅力的なイベントに映りました。
全国各地主要箇所で開催されていたパソケットは、PCの普及と共に盛り上がりを魅せ、PC8801、PC9801、MSX2、X68000等のパソコン向けに作成しているサークルが多かったです。

ゲーム少年が同人になる日

私は、当時、中学生後半〜高校受験の頃に、テクノポリスを愛読していた事もあり(最初はエロゲー目当てでしたが)、同人イベントは憧れのイベントでした。MSX2を持っていた私は、とうとうパソケットに参加して、同人ソフトを買い漁るのが、兎に角楽しかったのです。

▲東京文具共和会館で行われた『パソケット16』のサークル配置図

我が青春

高校に入学してからは、アルバイトをしてPC9801を購入し、モデムを購入して、パソコン通信にドップリとハマり、そこで出来た仲間と、とうとうパソケットにサークル参加する側となりました。当時の事を思い返すと、その時代が正に『青春時代』であった事は間違いありません。兎に角、楽しかった事を覚えています。(辛い事も勿論ありましたが)
パソケット絶頂期にサークル参加出来た事も思い出深いですが、そこで現在も続く、創作魂の原点となったのがこのイベントなのです。
CG集を数作、アドベンチャーゲームソフトの作成を手伝わせて頂いたりし、当時は寝ても覚めても同人活動の事を考えていました。

パソケットの盛り上がりが終わりに近づいた頃は、参加サークルも非常に少なく、寂しいイベントになりましたが、そのスピリッツは、今も各所で引き継がれていると言っても間違えではないかと思います。

▲全国で開催されていた当時のパソケット

とうとうコミックマーケットに参加

話は前後しますが、私はとうとうコミックマーケットに一般参加します。第40回目だったかと思います。当時は、どこでカタログを買えるのかも知らず、イベント会場で捨ててあったカタログを拾ったりしてましたが、本格的にサークル参加をするようになったのは、その数年後の高校3年生〜専門学校時代です。PC9801で最もメジャーなCG制作ツールであったと言っても過言ではない『マルチペイント』を用いて、ドットをチマチマと打っていた頃が懐かしいです。現在で例えると、クリップスタジオ的な位置付けだったかと思います。当時は、画面内に最大16色しか表現できないという大きな壁があり、如何にドットを滑らかに表現させるジャギ消しに、しこたま注力していました。

同人ソフト古今東西

現在となっては、同人ソフト作成の敷居も大分下がっているようにも思えます。ノベルゲームや、アドベンチャーゲーム、RPGなど、ツクール的なソフトや、開発をバックアップするツールも沢山存在します。ゴリゴリにオリジナルな要素を含んだゲームソフトの開発はやはり難しい部分もありますが、未体験な方は、このようなツールを用いて、先ずは1作品創ってみてはいかがでしょうか。と、いうのがオジサンになった同人作家の独り言です。

現在もなお、私は同人活動を行なっていますが、その原動力は、パソケットが生み出したと言っても過言ではありません。

のっぺらぼうくん
のっぺらぼうくん

当時、頒布物はフロッピーディスクだったね。

のっぺらぼうちゃん
のっぺらぼうちゃん

拡張子はMAGだったりPIだったりしたみたいだわ。

のっぺらぼうくん
のっぺらぼうくん

ジャギを消す事をエクスタシーに感じる人も居たみたいだよ。

のっぺらぼうちゃん
のっぺらぼうちゃん

640×400の解像度が標準的だったみたいね。

のっぺらぼうくん
のっぺらぼうくん

ドット、ドットで、目、目が〜!

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